目が覚めると、見慣れない灰色の天井が目に入った。
ああ、いつのまにか寝てしまったのだとは朦朧とした意識の中で呟く。
横を見れば鉄格子が立ちはだかっている。
眠ってしまう前と相も変わらず、は牢の中にいた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
自分が真選組の女中だからとはわかっているが、ただこの現実を認めたくない。
真選組に迷惑をかけるようなことはしたくなかったのに。
よりによって、大変な人物に捕らえられてしまった。
『中でも最も危険なのが高杉晋助だ。お前もそれくらい覚えとけよ』
記憶喪失のが日常生活をするに当たって土方に教えられた世間の事。
その中で、高杉の名は出た。
『てめーが俺の名を呼ぶんじゃねェ』
あの時、自分でもよく呼び止めたとは思う。
だが、あんなにも冷たい目で射抜かれるとは思っていなかった。
もしかしたら、少しでも自分の話を聞いてくれるのではないかという根拠もない期待があった。
自分の立場、この状況から言って、そんなことあるはずもないのに。
拒絶された時、どうしようもなく哀しくなった。
突然、ドッガーンという破壊音と共に建物が大きく揺れた。
「ひゃっ…!?」
急な揺れに堪えられず、は床にドンッと倒れ込んだ。
訳がわからず、そのままでいるとすぐに揺れはおさまった。
だが、遠くのほうから人々のざわめきと破壊音が聞こえてくる。
「誰か…戦って、るの?」
の問い掛けが他に誰もいない牢の中で虚しく響く。
今までにない凄まじい不安がに襲いかかった。
まさか…真選組が?
は鉄格子に手を掛けて起き上がり、覗き込むように牢の外を見る。
部屋の出口は戸が開いていたが、その向こう側の様子は此処からでは見えない。
それでも、戦の騒音は先程にも増して聞こえてくる。
の身体がカタカタと僅かに震え始めた。
自分はどうしたらいいのだろう。
此処に閉じ込められたままで、ただただ恐怖に怯えて。
手に、嫌な汗が滲んできた。
は鉄格子から手を離し、手のひらを見る。
その瞬間、身体が硬直した。
手が、赤く、赤く、染まって。
「いやぁッ!!」
は恐怖のあまり、手を目の前の鉄格子に打ちつけた。
その痛みに意識がはっきりして、もう一度自分の手を見る。
赤くなど染まっていなかった。
「…どうして」
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
はぎゅっと目を瞑り、縮こまって手で耳を塞ぐ。
それでもまだ、戦の騒音は消えない。
脳裏にまた、自分を冷たい目で射抜く高杉の姿が浮かんだ。
怖くて、堪らなかった。
「…?」
ふいに自分の名を呼ばれ、は顔を上げた。
牢の前に長い黒髪で端整な顔をした男が立っていた。
も張り紙などで見たことのある男だったが、名前は思い出せない。
「…テロリストさん?」
「…テロリストじゃない、桂だ」
桂は哀しげな顔をしながらも笑みを浮かべた。
桂にしてみれば、は昔馴染みながら名前で呼んでくれる数少ない人物だった。
だがそんなこと、桂とは初対面と思っている記憶喪失のには知る由もない。
「高杉め、こんなところにを閉じ込めおって…。、少し下がっていてくれ」
「え?あ、はい…」
が牢の奥まで下がると、桂は刀を抜いて鉄格子に向けた。
「はぁ!!」
刃が振り落とされる瞬間、は反射的に目をぎゅっと瞑った。
ザキンッと斬る音が聞こえて、カランと何かが落ちる。
目を開けると、牢の錠が床に落ちていた。
が此処に閉じ込められてから一度も開かなかった鉄格子の扉が開かれた。
そこには桂が待っている。
「…あの」
「どうした?」
「どうして、貴方が…?」
自分の名前を知っていて、此処から出してくれるのか。
穏健派といえども桂は攘夷浪士。
真選組の女中である自分を助ける義理などあるはずがない。
の震えはまだ止まっていなかった。
「…ともかく、早く此処を出たほうがいい」
話を逸らされた。
もう仕方がないと諦めて、は桂に言われたまま牢の外へ出た。
「一体、何が起きてるんですか?」
「此処が高杉のアジトだと知って、真選組が乗り込んできた」
「真選組が…?」
まさか、私を助けるために?
そうでないにしても、は此処にいては真選組の足手纏いになるとわかっていた。
「高杉のほうもそれを待っていたらしい。既に、この有り様だ」
「戦っているのですか?貴方も…」
「俺は奴を止めねばならん」
桂の言う奴というのは高杉のことだとはなにもわかった。
また、あの冷たい目と、先程の血に濡れた自分の手が脳裏に浮かぶ。
「…斬ると、いうことですか?」
その問いに桂は目を見開いた。
も言った後でそんなことを口走った自分自身に驚いた。
そんなことを訊くつもりはなかったし、どうしてそんなことを思ってしまったのかもわからない。
先程から自分はどうかしてしいる。
「ごめんなさいっ!その、今のは…」
「…今は、君を此処から脱出させなければな」
慌てて弁解しようとするに桂はふっと笑いかけた。
そして桂は壁に背をつけ、部屋の外を覗き込むようにして安全を確認する。
は先程の恐怖とは別に、急に怖くなった。
この人は、自分のことを知っている。
もしかしたら、過去のことも知っているのかもしれない。
自分が知りたくないと思った、過去を。
「…なっ!?」
桂の驚く声が聞こえて、もびくりと肩を震わせた。
誰か来てしまったのだろうかと思ったのも束の間。
「ヅラー、こんなところにいたアルか!」
この場には似合わない元気な声で神楽が現れた。
その後に続いて新八もやってくる。
「桂さん!さんもご無事で!」
「、ヅラに如何わしいことされなかったアルか?」
「俺がに如何わしいことなどするはずないだろうッ!」
本当にこの場に似合わない遣り取りには呆気に取られた。
が一番驚いたのは神楽だ。
こんな十二・三歳ほどの少女がこんな危険な場所にいるなど考えられなかった。
「それよりお前たち、あれほど来るなと…」
「僕らも万事屋ですからね」
「銀ちゃんが行くっていうなら私もついてくネ」
「万事屋さんも、来ていらっしゃるのですか…?」
銀時のへらっと笑った顔が浮かぶ。
確かに木刀を携えていたが、彼も戦うのだろうかとは眉をひそめた。
「大丈夫ですよ、さん。あの人、ボケッとしてますけど、やるときゃやりますから」
「銀ちゃんは強いアルヨ」
「は何も心配しなくていい。とにかく、此処から脱出することを考えるんだ」
そう諭してから、桂はもう一度敵がいないことを確認して道を進み始めた。
神楽がの手を掴んで連れ、その後に続く。
新八は警戒を保ちながら三人の後ろについた。
暫くして突然、桂は立ち止まり、後ろにいるたちを押し退けて刀を構えた。
「キッヒッヒッ!何処行くんだァ?桂ァア」
道を曲がろうとした先に、天人たちが立ちはだかっていた。
手前に三人、その後ろにも何人かいる。
それぞれ武器を持って、今にも牙を向けてきそうだ。
「は、春雨!?」
「を連れて逃げろ。他にも出口があるはずだ」
「わ、わかりました!」
「、こっちアル!」
新八は改めて木刀を構え、神楽は方向転換をしてを促す。
は一人この状況についていけていなかった。
あまりにも唐突過ぎる。
「で、でも、テロリストさんがっ…!」
「テロリストじゃない、桂だ!いいから早く逃げろ!」
襲いかかる天人の刃を退けながらも桂は反論した。
やけに力が強い神楽に手を引っ張られていきながらは遠ざかっていくそれを聞いた。
「どうして、戦うのでしょうか?」
ふと、はぽつりとそう漏らした。
新八と神楽がそれに気づき、ぴたりと立ち止まる。
「さん?」
「テロリストさんも万事屋さんも、何のために戦っているのですか?」
先程から感じていた疑問だった。
危険を冒してまで、戦わなければならない理由は何なのか。
当人たちはいない今、は新八と神楽に尋ねてみた。
新八も神楽もぽかんとした顔をした。
だが、新八はすぐに困ったような笑みを浮かべて、それに答えた。
「多分、貴方のために戦ってるんだと思います」
「え?私…?」
予想外の答えには困惑した。
銀時は依頼をしたとはいえ日の浅い知り合いで、桂に至っては今日会ったばかりだ。
その彼らが、どうして自分のために戦うというのだろうか。
困惑して何も言えなくなったに神楽が真正面から向き合った。
神楽はあどけない子どもの目をしていた。
「、思い出さないアルか?」
「神楽さん…?」
「忘れられるの、とてもつらいアル。銀ちゃん、悲しそうだったネ」
そう言う神楽が悲しそうな表情をしていた。
『いーんだよ。俺ァ万事屋ですから』
あの時、確かに銀時は陰のある表情をしていた。
そう感じたけれど、まさか自分のせいだとは思いもしなかった。
私のために、戦ってる。
心の中ではその言葉を繰り返した。
だが一体、何が自分のためになるというのだろうか。
『俺は奴を止めねばならん』
桂がそう言っていたのをは思い出した。
それならば、高杉を止めることが自分のためだということになるのだろうか。
もし、本当にそうだったとしたら。
「、本当に思い出さないアルか?」
私の、過去には…
「こーんなところに獲物が三匹もいるぜェ」
「シッシッシ、ホントだァ」
ふいに背後から聞こえたおぞましい声。
三人がハッとして振り返ると、そこには先程とは別の天人たちがいた。
「クソッ、こんなところにまで!」
「新八、私が行くアル」
神楽が手持ちの傘を天人たちに向けて構えた。
だが、天人たちの数からいって到底一人では太刀打ちできないだろう。
新八も木刀を構えた。
「さん、逃げてください。ここは僕らが押さえます」
「で、でも…!」
「こんな奴らに負けるほど私たち弱くないネ」
「大丈夫ですから。さあ、行ってください!」
微笑みながらそう言った彼らには反論できなかった。
自分が此処にいても足手纏いになるだけだ。
「新八さん、神楽さん、どうかご無事でっ!」
先程は桂に言えなかったその言葉を残して、は彼らを背に駆け出した。
自分より年下の彼らは戦うというのに、自分は戦えない。
こうして逃げることしかできない。
結局、自分は何もできないのだ。
『、本当に思い出さないアルか?』
脳裏に甦ったのは、あの血まみれの手のひら。
『お願い…っ死なないでぇ…!』
何もできない自分が、一番嫌いだったはずなのに。
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