客人が帰った後、桂は目の前にある扉を開けて暗い箱の中から外へ出た。
そこには新八と神楽、そしてテーブルの上にある簪を見下ろす銀時がいた。

「…彼女がなのか」

箪笥の中で一部始終を聞いていた桂が銀時に問う。


客人が来る前、銀時を勧誘しに来た桂は珍しく家の中に招かれた。
今度こそ良い返事が貰えるのかと思いきや、銀時から予想外のことを伝えられた。

が生きてた』

今更、何の冗談だ。
桂は一度憤りを覚えたが、銀時の目を見て冗談ではないことを悟った。
が生きていたとは、一体どういうことなのか。
訳を聞く前に客人が現れてしまい、話が中断した。
指名手配犯である桂は咄嗟に部屋の片隅にある洋服箪笥に押し込まれた。

『はい。と申します』

客人は、あのだった。


「…新八、神楽、ちょっと席外せ」

銀時は桂の問い掛けには答えず、新八と神楽に指示した。

「あ、はい…」

「仕方ないネ」

漂う重たい空気を感じて、二人は素直に奥の部屋へと出て行く。
桂は銀時の向かい側のソファに座った。

「お前もやっぱ覚えてたんだな、のこと」

そう桂に言いながらも銀時は尚、テーブルの上にある簪を見ている。
桂もその簪をじっと見る。
漆黒に朱と金で桜の花が描かれた玉簪。
確かにそれは自分の知る少女の物だった。

「忘れるはずがない」

自分たちの希望の光であった少女のことを。
桂は少女がいなくなってしまったあの日のことを思い返す。


が死んだ』


終戦前、久方振りに姿を現した高杉から伝えられた衝撃の言葉。
顔の左半面に包帯を巻いている高杉に銀時が容赦なく掴み掛かった。

『てめェ、冗談でもんなこと言うんじゃねーよ』

今にも刀を抜きそうな、白夜叉の目。
前髪と巻かれた包帯に隠れて高杉の表情はわからなかった。

『落ち着け銀時!…高杉、どういうことだ?』

桂は銀時を高杉から離れさせ、問い質す。
ただ、信じられなかったのだ。
幼少の頃から妹のように可愛がってきた少女が死んだなど。

『自決した。…俺がこいつで寝込んでる間にな』

話しながら高杉は包帯を巻いている自分の左眼を指した。

『自ら命を絶つなど…何故が…』

『今、何処にいるんだよ?』

『…わからねェ』

『わからない?』

『川に身投げして流されたらしい。見つかったのはあいつの草履片方だけだ』

淡々と高杉が語る。
遺体はないが、は死んだ。
信じられない話だが、嘘だとも思えなかった。


『あいつァ…もしかしたら、松陽先生のところへ行きたかったのかもなァ…』


師からを託され、彼女を大事にしてきた高杉が一番信じられなかったはずだ。


「高杉はのことを忘れようとしていたようだったがな。
が残した物、全部燃やしたと言いおって。形見分けすらできなかった」

そう言った後、ふと桂はテーブルの上にある簪を手に取って、間近で見る。
銀時もその動きを目で追って顔を上げた。

「…いや、もう形見などと言わなくてもいいのだな」

確かに手元には、生きているが残して行った簪がある。
自分たちの大切なあの子は生きていたのだ。

だが、あろうことか彼女は記憶を失ってしまっていた。

「…銀時、お前は何故の依頼を受けた?」

「言ったじゃねーか。聞いてなかったのか?俺は万事屋だからだ」

銀時が半ば自棄になっているように見える。
きっと、どうすればいいのか考えがまとまっていないのだ。
それは桂も同じたった。

「では依頼通り、この簪を奴に渡すつもりか」

「いや、まだ渡すつもりはねェ。とりあえず、の様子を見る」

「この先、が思い出すかもしれないということか?」

「可能性はあるだろ」

「だが、彼女は思い出そうともしていないではないか」


『きっと、この簪をくださった方は私にとって大切な人だったのだと思います』


「あの頃の感覚は覚えているというのに、それさえも切り捨てようとしている」

「こんな依頼までしてな」

「それでいいのか?」

「それは俺たちが決めることじゃねェ。が決めることだ」

「何も知らない彼女がか?」

銀時は気疲れをした面持ちで、宙を仰いだ。


「…何も知らねーほうが、幸せってこともやっぱあるのかもな」


その言葉に、桂は先程のの言葉を思い出す。


『伝えてください。私は今、幸せです、と』


胸が急に苦しくなった。
結局、自分たちでは彼女を幸せにすることができなかったのだ。
あんなにも、大切にしていたというのに。


『本当に忘れてしまいたいことがあって、それで忘れてしまったのではないかと。
そう思ってしまって。この簪を見ていると、余計その過去に囚われてしまいそうで…』


結局、自分たちは彼女を苦しめることしかできなかったのか。
自分の手の中にある彼女の簪を見て、ぎゅっと握り締める。
悔しくて堪らなかった。


「…けどまァ、思い出そうとしなくても、何かの拍子でぽろっと思い出すかもしれねーし。
それにお前、どうせアレだろ。を助けたのが真選組のヤローで気に食わねーんだろ」

いつのまにか銀時の視線が自分に戻っていたことに桂は気づく。
銀時はけろりとした顔をしていた。

確かに、真選組というのも気に入らないのは事実。
だが、自分が今しがた思い悩んでいたことではない。
…わざと、的を外したか。

「当たり前だろう。あんな奴らにを任せられるはずがない」

「てめーみたいな真面目すぎる奴に任せても俺ァ心配だがな、ヅラさんよォ」

「ヅラじゃない、桂だ」

まったく、この男は…
桂は身体から空気が抜けていくように気が楽になった。
これだから、未だに自分はこの男と共に戦いたいと思うのだ。

「…とにかく、これは奴に渡すべきではない。わかっているな?」

念を押しながら桂は簪を銀時に差し出す。

「ああ、わかってるってうるせーな」

銀時が簪を受け取った、その時だった。


「オイ万事屋、開けやがれェェ!!!」


玄関のほうから、真選組副長の怒鳴り声が聞こえてきた。
銀時も桂も呆然と玄関がある方向を見た。

「…アレ、お前目当てじゃね?」

「そうかもしれん、な…」

たらりと冷や汗が伝う。
それが合図であるかのように、銀時の形相が一変した。

「テメッ!早く隠れやがれ俺まで捕まるだろこのテロリストがァァ!!」

「テロリストじゃない、桂だ!隠れるってまた箪笥か!?あんな防臭剤くさい所へまたか!」

「いいからとっとと入りやがれェェ!!」

桂は再び洋服箪笥の中へ蹴り入れられた。
バタンと扉が閉められ、暗い世界が作られた。
やはり防臭剤くさかったが、この状況ではもう仕方がないと桂は諦める。

「ちょ、それって不法侵入じゃないの?お巡りさんが不法侵入ゥゥ!!」

「うるせェ!!」

どうやら土方が家の中まで入ってきたようだ。
すぐ近くで声が聞こえる。
このままでは見つかるのも時間の問題ではないかと桂も気が気でなかった。

「落ち着いてくだせェ、土方さん。旦那にも話を聞きましょうぜィ」

沖田の声も聞こえてきた。
一瞬、桂はマズイと思ったが、会話からしてこれはおかしいと考え直す。
自分が此処にいるとわかっているならば、沖田はこんな穏便に済ませようとしない。
有無を言わせないバズーカの一撃があってもおかしくないはずだ。

「話ィ?俺ァ話すことなんざ何もねーぜ」

「いやいや旦那、此処にさんが来たはずでィ」

土方と沖田は自分のことではなく、のことで来たらしい。
桂はほっとしたのも束の間、新たなる疑問が浮かぶ。
がどうしたというのだ?

「確かに来たが、もうとっくに帰ったぜ?つーか、何で知ってんの?」

「俺がさんに此処の場所を教えてあげたんでさァ。訊かれたもんで」

「あ、そうなの。…で、それとこの不法侵入はどう関係してるわけ?」

「実は…」

「うわ、騒がしいと思ったらアンタら何でいるんですか!?」

「不法侵入アルか?」

「てめーには関係ねェ消えろチャイナ」

「てめーが消えろやドSヤローが」

どうやら奥の部屋にいた新八も神楽も出てきたらしい。
しかも沖田と神楽が因縁をつけ始めた。
結局、がどうしたのだ。
それを聞きたいのに外へ出て催促すらできない桂は苛々する。


が帰って来ねーんだよ」


先程まで声を荒げていた土方がぼそりと言った。
沖田と神楽の喧騒が止まり、部屋全体が一気に静まり返った。

「ホントは今頃、夕飯の時間なんでさァ。俺ァ腹ぺこぺこでィ…」

「てめーら、が何処行ったか知らねーのか?」

、帰る言ってたヨ」

「夕飯の仕度があるって言ってましたよ、確かに」

「おいおい、ホントに帰ってねーのかァ?」


「副長ォ!沖田隊長ォ!大変ですゥゥゥ!!!」


今度は山崎がやってきた。
監察方とは思えないくらい冷静さの欠けた凄い慌てようだ。

「どうした、山崎」

「こ、これが屯所に届けられて…」

カサカサと紙か何かを扱う音がする。
桂は音を立てないよう、ほんの少しだけ扉を開けた。
開いた隙間から覗くと、何かの手紙を読んでいる土方の後ろ姿が見える。
手紙を持つ土方の手がふいに震え始めた。


を…攫っただァ?」


憤然として震える土方の口から出た事実に一同は凍りついた。
既にその内容を見ていた山崎が今にも泣き出しそうな顔をしながらも説明する。

差出人は攘夷派の一派で、を真選組の女中と知って攫ったとのこと。
だが真選組への脅迫文ではなく、の処分は検討中だと書かれているという。

それではただ真選組を愚弄し挑発するためだけにを攫ったようなものだ。
銀時が瞳孔を開けたまま、じっと手紙を見ている。
桂も暗がりでふつふつと怒りを沸かせた。

自分の知る限り、は逆境ばかりを歩んできた。
だからこそ、は自分たちの痛みを理解してくれる優しい子だった。
なのに何故、ばかりがこんな目に遭う?


『私は今、幸せです』


本当に幸せだというのならば、それでよかったではないか…


桂は手紙の差出人の名前を見ようと、もう一度覗いてみる。
攘夷派というのならば、もしかしたら自分も見聞きしたことがあるかもしれない。
桂が覗いたところから丁度、差出人の名前が見えた。
やはり、何かで聞いたことのある一派の名前だった。

その何かを思い出して、桂は一瞬にして身の毛が弥立った。

「銀時ッ!!」

真選組がいるにも関わらず、桂は外へ飛び出した。
その場にいる全員が驚愕して桂を見る。

「桂!?何でてめーが此処にっ」

「貴様らを相手取っている場合ではない!」

いつも以上に鋭い桂の気迫に真選組の三人も珍しくたじろいだ。
桂の異常な様子に、銀時も只事ではないと耳を傾ける。

「何だってんだよオイ」

「その差出人は…最近俺が聞いた情報によると、奴の傘下に入った者たちだ」

「こんな時に奴って、まさか…」

こんな事態になるなど、誰が予測できただろうか。
桂は焦りばかりを感じた。




あれほど、今は奴をに近づけさせてはならないと思ったのに。
簪すら、渡してはならないと思ったのに。




「高杉だ」














一寸先は、やはり闇だった















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