「こんな時間まで、こいつを働かせてんじゃねェ」
深夜1時が過ぎようとしていた頃、事件は起こった。
宇宙を漂う快援隊の船の中、は食堂の片隅の席に座っている。
時は既に午前2時。淹れたはいいが、喉に通る気がしなくて飲まずに残った茶はとっくに冷めている。
どこを見るわけでもなく、ぼんやりしている。は静かに溜め息をついた。
高杉さん、大丈夫かな…
事の発端は1時間前。
高杉はまだ仕事が終わらないようで部屋に戻っておらず、は一人で眠りにつこうとしていた。
(本当は高杉が戻ってくるまで起きて待っていたいのだが、以前に「先に寝ていろ」と叱られてしまった。)
だが、なかなか寝付くことができず、不意に乾いた喉を潤そうとは起きて食堂に行った。
『あ、ちゃん!これは良いところに来てくれた!』
夜も遅く、誰もいないと思っていた食堂には快援隊の隊員が2人いて、の登場に歓声を上げた。
『どうされました?』
『仕事が終わったら腹ば空いてしまってのォ。何か食いたいとここへ来たんじゃが』
『わしらじゃ、どうも勝手がわからんかったところじゃきー。すまんが、何か作ってくれんか?』
申し訳なさそうに頭を掻く隊員1人からグゥ〜と腹の音が鳴った。
それにつられたようにもう1人の隊員からも腹の虫が鳴り、は思わず笑みを零した。
『簡単なもので良いのでしたら、お作りしますよ。…確かご飯が残ってるので、おむすびはいかがですか?』
『おお!よろしく頼んます!』
『いやァ、夜分遅くに申し訳ねェ…』
『いいえ、いいんですよ。すぐにできますから』
は厨房に入って、割ぽう着を羽織る。
残っていた冷や飯をレンジで温めてる間に、塩と海苔、具にする梅干しやおかかを用意した。
ふと、まだ仕事をしているであろう高杉のことが脳裏に浮かぶ。
もしかしたら、彼もお腹を空かしているかもしれない。
温まったご飯をレンジから取り出す。ラップを開くと湯気がもわっと出て上へ昇る。
は掌に水と塩を馴染ませ、熱々のご飯に具を入れて三角に握ってゆく。
この量なら2人分以上作れるだろう。あとで彼にもあげよう。
そう決めたは大皿におむすびが並んでゆくのをとても嬉しく思えた。
『どうぞ、召し上がってください』
高杉の分を別にして、は隊員2人にできあがったおむすびを、沢庵と茶を添えて差し出した。
隊員2人はそれを見て更に食欲が沸いたのか、がっつく勢いで食べ始めた。
食べながら「うめェ!」と喜びの声を上げる2人を見て、作ったも満足だった。
そういえば、自分も喉が乾いていたのだ。
ここへ来た理由を思い出して、は自分の分のお茶を淹れた。
『…あ』
いつの間に来たのか、食堂の出入り口には高杉がいた。
気づいたは声をかけようとしたが、言葉が詰まってしまった。
高杉の表情は、不機嫌そのものだった。
高杉はツカツカと、隊員2人のもとまで一直線に進み出た。
不機嫌な高杉に気づいた隊員2人は慌てて頬張っていたものを飲み込んだ。
『おお、高杉さん。お疲…』
隊員の1人が労いの言葉を言う途中で、高杉に胸倉を掴まれた。
突然のことでは声すら出なかった。高杉はそのまま隊員を引っ張り上げ、椅子から引きずり落とす。
『な、何するんじゃ!』
もう1人の隊員が立ち上がって抗議をするが、高杉に睨まれて怯んでしまう。
胸倉を掴まれている隊員も、鬼のような形相をしている高杉が恐ろしくて動けなかった。
『た…』
やっと出たの声を遮り、高杉は隊員2人に吐き捨てた。
『こんな時間まで、こいつを働かせてんじゃねェ』
その直後、偶然通りかかった陸奥が高杉を止めに入って、ひとまず事態は収まった。
高杉と隊員2人は陸奥に連れられて行かれ、今は別室にいる。
リーダーの坂本も交えて、今回のことについて話し合っているはずだ。
1人、食堂に残されたは話し合いが終わるのを待っている。
何か処分が下されるのではないかとは心配でならなかった。
元々余所者である自分たちが何かトラブルを起こせば、大きな問題に発展してしまう。
ずっと快援隊にいるわけではないのだろうが、今追い出されては生活ができない。
そう心配していたのに…
高杉はのことを思って隊員2人を責めた。
そう分かっているは、だからこそ自分が彼を止めるべきだったと今になって悔やんだ。
声すら出ないほど、憤った高杉が怖かった自分が恥ずかしくて堪らなかった。
数分が過ぎて、食堂に陸奥がやってきた。
はすぐに立ち上がろうとしたが、「そのままでいい」と陸奥に促されてゆっくり掛け直す。
陸奥がの正面の席に座る。その顔は普段のまま、他人に自身の感情を読ませない無表情だった。
こうして陸奥と真正面で向き合うのは初めてのことだ。
こんな状況になるとは思わなかったは緊張で体が強張った。
彼に何か処分があるのだろうか。こちらからその事を尋ねた方がいいのだろうか。
いろいろ考えるが答えに迷っているを陸奥はじっと凝視した。
「…不思議じゃ」
「はい…?」
何が不思議なのだろう。は一瞬緊張が緩み、目をぱちくりさせる。
陸奥はから目を逸らし、の手前にある湯呑みの中の茶をぼんやりと見つめながら語り始めた。
「わしはずっと高杉を警戒しちょってた。あの悪名高い男が、そう簡単に心を入れ替えるはずがない。
無害そうな女と共にこの船に乗り込んでわしらを油断させ、裏で何か大事を起こそうと企んでるのではないか、と」
「そんなことは…!」
陸奥に疑われているのは分かっていたが、面と向かって言われては堪らない。
はすぐにでも弁解しようとしたが、陸奥はまだ話は終わっていないとそれを制する。
「じゃが、どれだけ疑って見ちょっても、高杉の奴は不気味なほど真面目に仕事をしちょる。
気に入らないこともあるじゃろうに、噂で聞いちょってたような傍若無人な態度も出さない。
化けちょるのなら、相当うまい。そんな相手に尻尾を出させるにはどうしたらいいかと考えちょったんじゃが…」
陸奥はちらりとを見た。
「まさか、女のために問題を起こすとは…夢にも思っちょらんかった」
一度でも、少しでも疑われる要素ができてしまったら、そこでおしまいだ。
本当に裏で何か企てているのならば、女ごときのためにこんなところで問題など起こしたりはしないだろう。
だが高杉はが深夜に働かされたというだけで憤慨し、隊員たちを責めた。
すべては、彼女を想ってのこと。
「…あの、」
陸奥の話が途切れたところで、が遠慮がちに口を開いた。
「高杉さんなら、大丈夫です。皆さんが思っているほど危険な人ではありません」
「その根拠は?」
陸奥は容赦なく問い質す。
それでも、は怯まずに陸奥の目を真っ直ぐ見た。
「確かに気まぐれなところもあるので、一体何を仕出すのか、周りも気が気でないのかもしれません。
けれど、世間一般的には死んでしまった身です。高杉さんが自分でそう決めて公言した以上、
それを覆すような行動をすることは高杉さん自身が許さないでしょう」
「じゃが、死んだ身になったということ自体、奴の策略かもしれん」
その言葉には陸奥に失礼だと思いながらもおかしくなって、つい笑みを零してしまった。
もしかしたら自分の方が彼を過信しすぎてるのかもしれない。けれど、彼以上に信じられるものはない。
「先程、私のことを無害そうな女と言いましたが、本当に私は誰かに害を与えることなどできないのです。
戦力とは程遠く、飯炊きくらいしかできない、下手をすれば足手纏いになりかねない無能な女なのです」
幼い頃、戦場へ無理矢理ついていって、そう思い知らされた。
そんな何もできない私を、高杉さんは命を懸けて、左眼を犠牲にしてまで護ってくれた。
「何か大事を起こそうとも起こさなくとも、私みたいな女を連れて行こうなんて普通なら思いませんよ」
それでも、共に生きようと言って下さるのですから。高杉さんて、優しい方なんですよ。
はにっこりと屈託のない笑顔でそう言った。
陸奥はを目の前にして目を見開いた。
自分が高杉に関して聞いてきた噂は極悪非道そのもの。優しいとは全く正反対だ。
しかし、確かに言われてみれば、彼女といるときの奴は、
「お〜陸奥もここにおったのか!」
陸奥が心内で答えを完結させる前に、坂本と高杉がやって来た。
彼らを見た途端、心配事を思い出したは不安な表情で立ち上がり、彼らの傍に駆け寄る。
「あの…どうなったのでしょうか?」
不安げに尋ねるに坂本は「ワッハッハッハッ!」といつものように笑った。
(隣りにいる高杉はウザったそうに坂本がいるほうの耳を手で塞いだ。)
「どうなったもこうなったも、これからも今までどおりじゃきィ。何も心配はないぜよ!」
坂本の答えにの顔はぱぁっと明るくなったが、すぐに沈んだ。
何も処分がないとはいえ、自分の行動が高杉を不機嫌にさせ、隊員2人、坂本、陸奥に迷惑をかけた。
謝罪はしておくべきだろうとは口を開いたが、その時、彼女の頭にポンと優しく手が置かれた。
「怖かったか?」
深く穏やかな高杉のその言葉には戸惑った。
殺気とは至らずとも、隊員たちに向けられた怒気は常人とはかけ離れていた。
その時のことを高杉は言っているのだ。
怖くなかった、と言えば嘘になる。
嘘はつけない。は答えを口に出すことができずにはにかむ。
高杉にはそんな彼女の心情が見る見る分かり、さすがに決まりが悪いと項垂れた。
「悪かったなァ」
そうして高杉はの頭をさらさらと撫でる。
の沈んだ気持ちが、瞬きをするのも忘れる間にすっと抜けてゆく。
ああ、やっぱりこの人は優しい。
「いえ、とんでもないです…あ、そうだ。おむすびがあるんですよ。召し上がりますか?」
お疲れでしょう?と微笑むにつられて高杉も口元を緩めた。
「ああ」と頷く高杉には顔を喜びに綻ばせながらおむすびと茶の用意をする。
その2人の様子を見ていた陸奥はやはり信じられない気持ちだった。
だが、演技には到底見えなかった。
これが高杉の在りのままの姿として認めてもよいのだろうか?
「高杉は大丈夫ぜよ」
心の内で戸惑いに渦巻いている陸奥に坂本はそっと彼女だけに聞こえるように言った。
先程のと同じ言葉に陸奥は目を見開いて坂本を見る。彼は疑い1つなく穏やかだった。
「昔っから高杉はを過保護過ぎるほどに大切にしちょってのォ。
が泣こうもんなら泣かせた奴には容赦せんし、が笑おうもんなら不機嫌でも何でも忘れて笑う。
高杉にとっては唯一護りたいもんじゃき。のためっちゅー大儀を持つ高杉は信用できる奴ぜよ」
「…高杉の世界は、を中心に回っちょるということか」
陸奥がぽつりと呟いたその言葉に坂本は「ワッハッハッハッ!」と爆笑し始めた。
そんな彼を余所に、陸奥は再び高杉との2人に視線を移す。
座席に座った高杉の傍らに立っては茶を淹れている。
手元に置かれたおむすびでもなく、湯気を立てながらコポコポと湯呑みに入ってゆく茶でもなく、
高杉は茶を淹れるを見守るようにじっと見つめていた。
陸奥は今夜起きた事件を振り返る。
そして、先程自分の口から出た、今も坂本を爆笑させている言葉を思い返し、
口元だけ緩めて、呆れたようにふっと笑った。
「そうじゃとしたら、ある意味そのほうが厄介かもしれんの」
2007年2月16日 彼女の一挙一動が彼を左右する。
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