「俺ァやっぱ、兄貴分としてお前のためになりたいんだよ」

そう言い残して去っていく銀時の背を、ただは呆然と見ていた。
兄貴分…何処か懐かしい響きだった。

やはり銀時は、自分の過去を知っている…否、それ以上に関わりがあったのだ。
そう思えば、はいても立ってもいられない。
銀時の後を追おうと踏み出したのだが、その手が後ろから掴まれた。

「何処行くつもりだ」

振り返ったに土方は問い質す。
その目には焦燥の色が見え、そして、何かを懇願するようだった。

「土方さん…」

「あんたの過去に何があったのかなんて、俺も知らねェ」

その言葉にはハッとした。
倉庫の中で銀時としていた会話していた時、土方も聞いていたのだ。

「だがな、あんたが行っても状況が悪化するだけだろ。
…あんたは、自分の身さえ護れねーじゃねーか」

土方の言う通りだとも思う。
此処にいる自分は戦うことすらできない。
けれど、何かしなければならないと、囚われたように強く思うのだ。
そうしなければ…

「でも、私っ…」


「俺はあんたが好きなんだッ!」


は頭の中が一瞬真っ白になった。
初めて、土方に真正面から想いを告げられた。
それは予想以上に衝撃を受けた。

「あんたには傍にいてもらいたい。あんたは、俺が護るから…」

だから、行くな。
の手を掴む土方の手の力が強まる。
思わず逸らしたくなるほどの強い眼差しで土方はを見つめていた。

それでも、はやはりあの時と同じだった。
只々、苦く切ない思いばかりが胸に募る。
何かが違う、と心の奥底で叫んでいるのだ。

混沌とした頭の中で微かに浮かんだのは、今の土方とは正反対の…

「ごめんなさい…っ」

は泣きたくなった。
命の恩人である土方を、自分を想ってくれている土方を、裏切っていると思った。

「ごめんなさい、土方さん…っ」

が俯きながらもう一度そう言うと、土方は掴む手の力を緩めた。
無意識だったのだろう、顔に表情がなかった。
自分は許されないことをしている。
そう思いながらも、は銀時が向かったほうへ駆け出した。




あれほど土方の気持ちに答えられると思っていたのに。
の脳裏に微かに浮かんだのは、冷たい目を向ける高杉だった。




息も切れ切れに、は辿り着いた。
五十メートルほど先に高杉と銀時が対峙していて、更に遠くのほうで桂がそれを見守っている。
高杉と銀時は剣を交えているその光景には思わず息を呑んだ。
今、まさに彼らは戦っているのだ…自らの命を懸けて。


「なァ、高杉」

間合いを取ってから、ふと銀時が動きを止めた。
左腕だけ通している白地の着物には赤く血が滲んでいる。

「過去に囚われるのは、もう止めにしようや」

高杉は、ただ黙っていた。

「このままじゃ、本当に大事なもんなくしちまうぜ?」


暫く、そのまま沈黙が続いた。
だが、張り詰めた空気が突如ざわめいた。
は金縛りにあったかのように身が竦んでしまった。
高杉に、おぞましい殺気を向けられていた。

「馬鹿な女だ。舞い戻ってきやがった」

銀時も桂もその言葉でがいることに気づく。
戻ってくるなんて思ってもみなく、銀時はを見て目を見開いた。

「ククッ、馬鹿な子ほど可愛いっていうあれかァ?…銀時」

愕然とを見る銀時に高杉は然も面白そうに嘲笑った。


「殺してみせようか、あの女。…お前の目の前で」


焦りでその言葉を一瞬で理解できなかった銀時は出遅れてしまった。
桂も突然の事態に駆け出すが、間に合うわけもなく。
高杉の刃は既にのもとへ向かっていた。

「女ァ斬る趣味はないが…あんたは特別だ」

のもとまで来た高杉は先程のように笑ってはいなかった。
向けられる絶対零度の殺気に打ちひしがれ、は身体に力が入らなくなって座り込んでしまう。
高杉はに向けて、自分の手にする刀をゆっくり上へふりかざした。
は、銀色に光る切っ先を只々見上げる。
殺されるかもしれないという恐怖と共に、思い出していた。


刀を向けられるその恐怖から、私を護ると言ってくれた人がいた。
だから、私が刀を持つ必要はないと、優しいその手で頭を撫でてくれた。

神様のような、人だった。


突然、高杉は何かから避けるように横へ俊敏に退いだ。
だが、すぐにまた懐に向けての攻撃が入り、高杉はそれを刀で防ぎ止めた。

「女ァ斬ろうなんざ…落ちぶれやがったか、高杉ィ!」

「てめー、土方…ッ!」

「土方さん…!」

土方が参戦してきて命拾いをしたはやっと声が出た。
だが、それは喜びの声ではない。
土方は怪我を負っている。
とても高杉とは戦っていられないだろう。
そのことはその場にいる誰の目にも明らかだった。

何度か剣を交えると土方の身体がふらつき、高杉はその隙をついて蹴り飛ばした。
地についた土方はすぐに起き上がろうとするが、なかなか力が入らない。
出血が止まったと思われていた傷口から、また血が流れ出していた。

「まずは、てめーから殺ってやる」

高杉は刀を構え直し、土方に向ける。
それをまのあたりにしたは、気づけば立ち上がって駆け出していた。
急かす鼓動と共に、身体を前へ前へ突き出した。


何も、私はできないけれど。
何かをしなければ、此処で彼を止めなければ…

すべてを失ってしまうような気がした。




高杉が、かざしていた刃先を振り落とした。
だが、土方は目を見開いて、ただ目の前の光景を見ていただけだった。
土方だけでなく、銀時も、桂も、そして斬った高杉さえも愕然としていた。
斬られたのは、土方と高杉の間に立ちはだかった、だった。

はそのまま後ろへ倒れ、土方のほうに崩れ落ちた。
土方が受け止めたその身体を纏う着物が、赤く染まっていく。

「お前、どうして…ッ!」

感覚すらなくなってくる痛みに意識が朦朧とする。
息をするのも、苦しい。
すぐ傍で聞こえる土方の声を聞きながら、はゆっくり目を閉じた。




死ぬ間際、それまでの記憶が走馬灯のように脳裏に浮かぶというのは本当だったのか。
何も聞こえない暗闇の中、現れたのは柄の悪い男と女だった。
いつも何処かしら出掛けていて、たまに帰ってきたと思ったら…暴力。
どんなに敬った態度をしても、どんなに謝罪をしても、許してはくれなかった。
そのうちに男と女が口喧嘩をしだして、逆上した男が脇差で女を刺した。

本当に一人ぼっちになってしまった私に、手を差し伸べてくれた人がいた。
その人はとても優しくて、一緒に暮らそうと言って抱き締めてくれた。
名前のなかった私に、という名前をつけてくれた。
嬉しくて、温かくて、思わず泣いてしまった。

私も暮らすことになった家にはもう一人、私より年上の銀髪の男の子がいた。
よく一緒に遊んでくれて、可愛がってくれた。
兄弟なんていなかったから何となくだけれど、本当に自分のお兄さんのように思えた。
銀時さん、と名前を呼びながら私はよく後ろをついて回っていた。

家に銀時さんと同い年くらいの黒髪の男の子が訪ねてきた。
私は一目見て、顔が熱くなり、鼓動が速くなった。
初めての感情だったけれど、これが好きってことなのかな、と思った。
私の好きな人…高杉さん。

暫く、幸せと呼べる時期を過ごした。
皆と一緒に遊んだり、勉強したり…とても楽しかった。

それが終わってしまったのは、私にとって絶対的な存在だったあの人が何処かへ行ってしまった時だ。
あの人は、私がいい子にしていたら必ず帰って来ると言った。
だから、寂しくても、自分で家事をしながら、ずっとあの人が帰って来るのを待っていた。

けれど、あの人は帰って来なかった。

あの人が死んでしまったことを私に告げたのは、高杉さんだった。
泣き嘆く私を抱きしめてくれた高杉さんは、ついてくるか、と私に尋ねた。
私は頷いた。
もう、この人しかいないと思った。

天人との戦に出る高杉さんは、もう子どもではなかった。
銀時さんも、あの人の教え子の一人だった桂さんも、大人だった。
私だけが、まだ子どもだった。
あの人を失ったあの時と同じ、帰りを待つことしかできない子どもだった。

桜が咲き散る春の日、私は高杉さんたちに花見がしたいと言った。
高杉さんたちは帰って来たら行こうと約束をしてくれ、戦へ出掛けた。

無事に戦を終え、銀時さんと桂さんが帰って来た。
私の顔を見てから約束のことを思い出したようだけれど、すぐに花見へ行こうと言ってくれた。
けれど、高杉さんだけは帰って来ていなかった。
高杉さんが何処へ行ったのか、言われなくてもわかった。
子どもの私では仕方がないとわかっているのに、胸が張り裂けそうなくらい切なくなった。

帰ってきて、呼びかけてきてくれた高杉さんを私は無視してしまった。
その夜も、高杉さんの所ではなく、銀時さんの布団へ潜り込んだ。
本当は傍にいたいという私の本心を言うと銀時さんは、まずは向かい合わないとな、と言った。

謝ると、高杉さんは私を抱き締めてくれた。
それから、漆黒に朱と金で桜の花が描かれた玉簪を私にくれた。
自分でも、まだ子どもの私には似合わないと思った。
けれど、この簪に似合う女の人になって、高杉さんに相応しくなりたいと強く思った。

鬼兵隊を率いて昔馴染の仲間から離れる高杉さんに私もついていった。
銀時さんや桂さんが心配をしてくれたけれど、それでも、私はついていきたかった。
高杉さんから離れることなんて、できなかった。

攘夷軍の敗北が見えてきていた頃、私も戦についていきたいと言った。
高杉さんは勿論、反対した。
それでも、私は無茶を言って、ついていった。
私にもきっと何かができると思っていた。

何もできないとわかったのは、戦場へ出てからだった。
殺し合い、血を流して人々が倒れていく。
どうしてこんなことをするんだろうと、恐怖で身が竦んだ。
ただの子どもである私を天人たちは面白がって目をつけてきた。

何もできない私を護ってくれたのは、他でもない高杉さんだった。




目を開けると同時に、はぽろぽろと涙を零した。
すぐ傍には土方が、視界には怪我を負った銀時と彼を支える桂が。
そして、正面には高杉がいた。
高杉の左眼を覆う、包帯。


あの時、高杉はを庇って左眼を刺された。
高杉はそのまま戦い続け、を護り切ってその戦に生き残った。

『高杉さん…っ!』

だが、身体が持つはずがなく、高杉は倒れた。
の力では、医者の所まで高杉を運んでいくことはできなかった。
息も絶え絶えに、高杉は痛みと苦しみに悶える。
焦燥に駆られるは、以前、桂に買ってもらった医学書を持ち出した。

『お願い…っ死なないでぇ…!』

は手を真っ赤に染めながら、高杉に助かって欲しい一心で治療をした。

やっと高杉の具合も落ち着いてきた。
だが、は寝ている高杉を前にして、絶望ばかりを感じていた。

『ごめんなさい…』

役に立てなかったばかりか、こんなに酷い怪我まで負わせてしまった。

『ごめんなさい…高杉さん…』

その日、空は暗く、雨が降っていた。
あの人が死んだと聞かされたあの日のようだとは思った。
そして、また繰り返してしまったのだと酷く後悔した。

私の、せいで。

もう看病をしなくても、直に起きて動けるようになる。
高杉の具合を診て、そう判断した。
それから、は高杉のもとを去っていった。

雨は大降りで、近くの川は氾濫していた。
誰にも何も告げず、一人静かにはそこへ自分の身を投げた。


私なんて、いなければよかった。




「ごめんなさい…」


静寂の中、の微かな声が響く。


「ごめんなさい、土方さん」


大きな涙の粒を一つ、零して。


「ごめんなさい、銀時さん」


また一つ、零して。


「ごめんなさい、桂さん」


その涙は頬を伝って、赤く染まった着物に落ちる。


「ごめんなさい、高杉さん」


最後に脳裏に浮かんだのは、あの人だった。




「ごめんなさい、松陽先生…」














神様、ごめんなさい















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