『もし、この簪が似合うような女の人になれたら…』


昔、少女が舌足らずに言ったそれを聞いて、自分が理想に描いた少女の未来像。
それが今、自分が渡された写真にそのまま写し出されている。

「この女ァ掻っ攫ってきたってか?」

高杉はこの写真を差し出してきた者に投げ掛ける。

「へい。真選組の女中なら何かに使えるんじゃねーかと思いましてェ」

媚びへつらいながら男が答えた。
男の後ろには十人程控えていて、やはり男と同じような表情をしている。
この男たちは最近、高杉一派の仲間入りを果たした、いわゆる新参者だ。

「しかも結構な別嬪ときたんで、ぜひぜひ高杉さんにとォ…」

尚も喋る男を余所に高杉は写真をじっと見る。
真選組の女中だというその女の手前に写る、真選組の副長。
世間から鬼と恐れられている男とは思えない穏やかな表情で女を見ている。
…土方の女か。

「今、何処にいる」

「へ、へい?」

「見せてみろ、この女」




『もし、この簪が似合うような女の人になれたら…』




「こいつです、高杉さん。…オイ女!こっち向けェ!」

高杉を案内してやってきた男が、牢に入れられている女を卑下するように呼ぶ。
大人しく座っていた彼女がびくっと肩を震わせ、彼らのほうへ振り向く。
高杉は彼女を見て、冷めていた気分が更に冷えるのを感じた。
こいつは何も知らない女の顔だ。

「てめェ、土方の女か?」

高杉は自分が思ったことを彼女に問い質す。
せっかく自分が出向いたのだから、ただ見物するだけでは面白くない。

「えっ…い、いえっ、違いますっ!」

女は顔を赤くして言葉に詰まったが、その後すぐに否定した。
恋仲ではないとしても、彼女は土方の想いを知っている。
高杉はそれを何となく感じ取って、クックッと喉の奥で笑った。

「土方はあんたに惚れてるようだがなァ?」

「そんなことありませんっ。土方さんが私など…」

「じゃァ試しにあんたをダシにして連中呼んでやろうか?真選組の女中さんよォ」

その言葉に女は愕然とする。
だが、高杉は何処か面白くなかった。

苛々する。
高杉はふと煙草が吸いたくなったが、煙管は自室にある。
面倒だと思いながらも踵を返した。

「ま、待ってくださいっ!」

女がはっとして、立ち去ろうとする高杉を引き止めようとする。
高杉はそんなことはお構いなしに自室へ戻るつもりだった。


「高杉さんっ!」


『高杉さん』


不意に、女が自分を呼ぶ声と在りし日の少女の声が重なった。
高杉は女のほうへ首だけ振り返る。
瞳孔がかっと開き、その表情は冷え切っていた。


「てめーが俺の名を呼ぶんじゃねェ」


この世の苦痛も何も知らずに生きてきたような顔した女が。


女は言葉を失い、怯えきった顔をした。
それがまた不愉快で高杉は早々にその場から立ち去る。
案内してきた男も慌てて高杉を追いかけて行った。


「つ、捕まった分際で高杉さんを呼ぶとは無礼な女ですなァ!」

高杉の機嫌を損ねてしまったと思い、男は必死にまた媚びへつらう。
胡麻を擂ることしかしない小者も使い易いかもしれないと気まぐれで配下に組み入れてみたが。
所詮この男は能無しの小者なのだと高杉は心中で改めた。

「けど、いい女だったでしょう?幕府の犬には勿体ねェ。飼い慣らせば、きっと…」

ザシュッという音が聞こえた。
自身が斬られた音だと、男はわからなかった。
血が飛び散り、床にできた赤い水溜りに男が倒れ込む。
男の後ろに控えていた者たちは顔を真っ青にして情けない声を出した。

「そいつァ片付けとけ」

そう言って高杉は血塗れた刃を懐紙で拭い、鞘に収める。
返り血を浴びない程度に加減して斬った。
だが、壁に付いた男の血が天人と同じくらい汚らわしく見えて、また不愉快になった。




戦時中も、天人と対峙する度にむしゃくしゃした。
斬っても、斬っても、苛立ちは収まらない。

それである時、高杉は鬱憤を晴らそうと戦帰りに女郎買いをして、そのまま数日過ごした。
何もそれは珍しいことではなく、高杉だけがやっていることでもなかった。
だがその時、高杉はある約束を忘れてしまっていた。
桜が咲き散る春のことだった。

『貴様…今頃帰ってきたか』

その頃、まだ高杉は桂たちと共に攘夷活動をし、共同生活をしていた。
帰ってくるなり桂が小言を言ってきたが高杉はそれよりも気になることがあった。
いつも帰ってきた自分を出迎えてくれる少女の姿が見えない。

『…は?』

辺りを見回して待っていても一向にが現れないので、高杉は不本意だが桂に尋ねた。
すると、桂が呆れた表情を甚だしく出し、溜め息をついた。

『やはり覚えていなかったか…』

『あァ?』

『先日の戦の前に、と約束しただろう』

今度、戦から帰ったら皆で花見をしよう。
戦場へ赴く前にとそう約束していたことを高杉はやっと思い出した。
は高杉が帰ってくるまで健気に待っていた。
だが、この数日の間に満開の時期は過ぎ、花は既に散ってしまっていた。



銀時と一緒にいるを見つけて高杉は声をかけた。
自分が声をかければ、は誰といようが何をしていようが必ず嬉しそうに自分のもとへ来る。
そのはずなのに、は高杉に駆け寄るどころか、気づく素振りさえも見せなかった。
の無反応に驚きを隠せず呆然とする高杉を、と一緒にいる銀時は複雑な気持ちで見ていた。

今まで、が自分に懐かなくなるようなことはなかった。
夜、寝る時間になればいつものように自分の布団に潜り込んでくるだろうと高杉は思っていた。
だが、は一向に高杉のもとへはやってこない。
ならば今夜は何処で寝るのだろうと捜してみれば、銀時の所にいた。
眠るの小さな身体を腕に抱くのは、銀時ではなく、自分だったはずだ。
高杉は息が詰まりそうになった。

このままでは、の中で自分の存在が消させてしまう。
消さないで欲しかった。

普段、我が侭を言わないがどうしてこれほど露骨に態度で示したのか。
それはわからなかったが、とにかく桜の花を見せてやりたい。
翌日、高杉はあちこち奔走したが、何処の桜の木もやはり葉桜だった。

途方に暮れた高杉が目に付いたのは一つの簪だった。
老舗呉服屋の店先で売り出されている、値の張る上等な品だった。
高杉は金銭的余裕があるわけでもないのに、迷わずそれを買い求めた。



再び高杉はに声をかけた。
振り返りはしないものの昨日とは違い、は立ちすくんだ。
その小さな背中が震え出し、高杉は正面に回り込んで顔を覗き込む。
案の定、は抑え切れない大粒の涙を零れ落としていた。

『ごめんなさいっ…ごめんなさい、高杉さんっ…』

ごめんなさい、がの口癖だった。

『お前さん、またごめんなさいか』

高杉は呆れたような声を出しながらも、その顔は穏やかだった。
をそっと抱き寄せて、背中をぽんぽんと叩いてやる。
も高杉と一緒にいられないのは苦しくて悲しかったのだ。

『ごめんなさいっ…』

『謝る必要はねーだろ。約束破った俺が悪ィ。…ほら』

高杉は懐から例の物を取り出し、に差し出した。
は未だ涙を零しながらもそれを見つめた。

『桜の花、見たかったんだろ?』

それは漆黒に朱と金で桜の花が描かれた玉簪だった。

『私、の…?』

は簪を受け取らず、ただただ戸惑った。
まだ玩具の装飾品のほうが似合いそうな少女に、この簪は不釣合いだ。
それは高杉もわかっていたが、それでもにこの簪をあげたかった。

この簪に描かれた桜の花のようにずっと咲き続けて欲しい、と。

高杉はの頭を優しく撫でてから、結ってある後ろ髪にすっと簪を挿した。
手を離すと、が顔を上げて最後の涙一粒を零れ落とした。


『…ありがとう、高杉さん』


やっとが笑った。
ただ、それだけで救われる思いがした。




自室に戻った高杉は、煙管を吸い、ふぅと一息ついた。
そして、手に持っていた写真に火を付け、端から燃やしていく。
ジリジリと土方の姿が黒く消えていき、小さな炎は先程の女に燃え移った。


『もし、この簪が似合うような女の人になれたら…』

が何故あれほどまでにこだわったのか、本当はわかっていた。
は幼い頃から俺を好いていて、子どもながら嫉妬したんだ。
俺がとの約束を忘れ、一緒にいた女郎たちに。
それが言えなくて、あんな行動に出てしまっただけなのだ。

女として愛するには、は幼すぎた。
だが、の気持ちがずっと俺に向いていて欲しいと思った。
どんな形であれ、確かにを愛していた。

だから、の中で俺の存在が消えるのは堪らなかった。
それなのに、そのものがこの世から消えてしまった。


「…早く、消えちまえ」

写真の中の女に向けて高杉が呟く。
女はあまりにも自分が理想に描いた少女の未来像に似過ぎていた。
小さな炎が女の顔を黒く消していき、燃え尽きた。


『高杉さん』


とっくの昔に忘れたはずだ。


『もし、この簪が似合うような女の人になれたら…』


あいつがいた過去も、あいつへの想いも、何もかもすべて。
消してしまいたかった。




『私を、お嫁さんにしてくれませんか…?』














もう、約束は果たせない















>>戻る