「万事屋さん…!」
の傍まで来て、そう呼ばれた銀時は一瞬思考回路が止まった。
に万事屋と呼ばれることに、どうしても慣れなかった。
だが、とりあえず彼女が無事であったことに一安心して口を開く。
「何で此処にいんの?出歩き自由ですか此処は」
「いえ、牢に閉じ込められていたのですが…テロリストさんに助けられました」
テロリストさん?
訳のわからない呼び方だが、おそらく桂のことだろう。
もしかしたら、は無意識に自分たちのことを昔のように呼ぶのを回避しているのかもしれない。
そう考えると銀時はまた寂しい気分になった。
「その後、新八さんと神楽さんにも会ったのですが、途中で天人に見つかってしまって。
皆さん、私を逃がしてくださって。他の天人に見つからないように逃げていたら、此処に…」
「出口がわからねーんだな。今、つれてって…」
「俺に背ェ向けるたァいい度胸じゃねーか、銀時」
銀時の背後からドスの利いた声が聞こえた。
振り返れば、先程よりも自分たちに近い距離で高杉が妖しい笑みを浮かべていた。
「…そこの女も、誰が勝手に出ていいと言った」
高杉の甚だしい憎悪の気迫を向けられ、はビクッと怯え出した。
とにかく、を此処から離れさせなければいけない。
傍にいるの怯えを感じ取ってそう思った銀時は隙を伺おうと高杉を注視する。
その時、銀時の目が見張った。
怯えるを見る高杉は、笑ってなどいなかった。
嫌悪しているわけでも、卑下しているわけでも、憤慨しているわけでもない。
それは一瞬だけれども、寂しさにも似た隻眼。
「…逃げるか」
「えっ?」
銀時は苦い笑みを浮かべながら、戸惑うの手を引いて駆け出した。
高杉が追いかけてくるかはわからない。
今はただ、これしかないと思った。
もしかしたら、俺は…期待しているのかもしれない。
高杉は追いかけてはこなかった。
銀時は走っている途中で倉庫を見つけ、そこで一時休憩することにした。
出口まではまだ相当距離がある。
は今まで捕まっていたこともあるせいか、疲労の色を見せていた。
「大丈夫か?」
「はい…ごめんなさい、ご迷惑を…」
「かけてねーから、いいんだよ」
銀時も、の口癖がごめんなさいであったことを覚えている。
痛々しいその口癖が記憶を失ってまで直らないのだから、やるせない。
薄暗い倉庫の中には、静寂だけが存在していた。
銀時もも各々腰掛けてから何も喋らない。
は自分の中で何か考えているようだった。
銀時も考えていた。
これから先、どうしていくべきなのか。
高杉はのことを忘れたいのに、忘れられないのだ。
忘れたと思っていても、心の何処かに潜んでいて、ふとしたきっかけでそれが浮上する。
どうして高杉はのことを忘れたいのか、銀時にはわからなかった。
いずれにせよ、このままでは最悪の場合、が高杉に殺されてしまう。
それほど気にしていないと高杉は言っていたが、怯えるを見た時のあの表情。
少女だった頃のの姿と重なって見えたからというならば、この先はわからない。
わからないというのは、最悪の場合になるか、もしくはいい方向へ進むかということだ。
今の高杉の暴動を止めるのは、それこそ自分たちが斬るしか術がないと思っている。
だが、もしも、が昔のようにいてくれるのなら…期待してしまうのだ。
あの日に戻れるのではないか、と。
「…万事屋さん」
意外にも、沈黙を破ったのはのほうだった。
銀時が振り向いて見た彼女の表情はまるで何かを恐れているようだった。
大人になった今のを見る銀時は密かに困惑していた。
果たして、自分が期待していることが彼女の幸せに繋がるのか。
過去の記憶は失ってしまったが、真選組の女中として働いて、不自由なく暮らしている。
あまり認めたくはないが、真選組の副長である土方とはとても良い雰囲気だ。
世間一般的に見たら、それはきっと幸せというのだろう。
わかっているのに、銀時は答えが出なかった。
それが何故なのかもわからなくて、もやもやとする。
「貴方も、知っているのですか?…私の、過去を」
そこへやってきた、新たな衝撃。
の問い掛けに銀時は目を見開いた。
「何か、誰かに聞いたのか?」
「聞いたわけではありません。けど、テロリストさんは…私の過去を、知っているようでした」
「それで、何で俺?」
「新八さんが、万事屋さんもテロリストさんも私のために此処へ来たのだと仰って。
それから、神楽さんが…貴方が悲しそうにしていたと。だから、本当に思い出さないのかって」
あいつら…余計なことを、と心の中で愚痴をこぼしたが、銀時はわかっていた。
新八も神楽も自分のために、そしてのためにそう言ったのだ。
「…もし、俺が知ってたとして、何になるんだ?」
「何、に…?」
「俺が…俺じゃなくても、誰かがあんたの過去を知ってたとしたらどうだってんだ。
それを知りたいから、知ってるかなんて訊くのか?思い出したくなかったんじゃねーのかよ」
冷たいとも感じ取れるその言葉には俯いて押し黙った。
少し酷な言い方だったかとも思ったが、銀時はそれを聞かなければならなかった。
もしかしたら、の心境が変わったのかもしれない。
余裕などなかった。
「…私は」
は相変わらず俯いていたが、必死に言葉を紡ぎ出していた。
銀時はただ耳を傾けて、彼女を見守る。
「確かに、思い出したくないと思っていました。それは今も変わりません。
けど…此処へ連れてこられて、皆さんに助けられて、思ったのです。
私が何もできないのは、私が自分の過去も何も知らないからだ、と。
何か、思い出さなければいけないことがあるんじゃないか、と。…漠然と、そう思ったのです」
が話し終えて、また沈黙が訪れた。
話を聞いたが、銀時にはそれが良い傾向なのか悪い傾向なのかわからなかった。
思い出したくないという、の本心とも言えるそれは変わっていない。
だが、思い出さなければならないとも思い始めている。
銀時は何か言ってやらなければと思ったが、言葉が浮かばなかった。
「一つだけ」
が再び口を開いた。
今度は顔を上げて、しっかり銀時を見据えていた。
「もし、貴方が私の過去を知っているのなら、一つだけ…教えてください」
必死に懇願する、のその表情。
銀時は以前にも見たことがあるような気がした。
「私は、あの方と…高杉さんと、何か関係があったのですか…?」
そうだ、あの時だ。
の言葉を聞いて、銀時は思い出す。
『私、どうしたら高杉さんに振り向いてもらえるんでしょうか…?』
高杉に花見の約束をすっぽかされて、銀時の布団に潜り込んできた少女。
目尻に涙を溜め込む彼女の小さな身体を銀時は抱き締めて問い返した。
『え?何?お前、高杉に振り向いてもらいたかったの?』
は黙って銀時の胸元にぎゅっと自分の顔を押し付けた。
別には振り向いてほしいわけではないことを銀時はわかっていた。
高杉が約束を忘れて誰と何処にいたのか、は知っている。
ただ少し嫉妬して、子どもである自分にコンプレックスを抱いてるだけなのだ。
銀時は宥めるようにの背中をぽんぽんとゆっくり優しく叩く。
暫くしてから、は顔を上げて口を開いた。
『ただ、私は…高杉さんの傍にいたいんです…』
あの時の表情と似ているのだ。
銀時は自分をじっと見て答えを求めると向き合いながら思った。
記憶を失っても…結局、この子は高杉晋助のことが気になるのだ。
「…、いるのか?」
突然、倉庫の出入り口から聞こえてきた声に銀時とは振り返った。
声からして、誰なのかはすぐにわかった。
「土方さん!」
出入り口に立っている土方を見て、はすぐさま立ち上がって彼のもとへ駆け寄った。
銀時も立ち上がり、その場で二人の様子を伺う。
「無事だったか…」
「はい。…ごめんなさい。私、いとも簡単に捕まってしまって…」
「無事ならいーんだよ。…怪我はねーか?」
「私は何もありませんっ怪我というなら土方さんのほうが…!」
「このくらい大丈夫だ」
よくよく見てみれば、土方は怪我を負っていて血も流していた。
土方も今まで高杉一派の者と戦っていたのだろう。
自分も戦ったが、この男に傷をつけるくらいだから、やっぱり相当強敵揃いらしい。
そう思いながらも銀時は何も言わずに、会話をする二人を眺めていた。
「よかったぁ、土方さんがご無事で…」
が安心したように呟いて、久方振りに笑った。
その光景を見て銀時はハッとした。
先程感じたもやもやとした感情が徐々に晴れていく。
…ああ、そうだったのか。
ふっと笑みをこぼして、銀時は足を一歩踏み出した。
そのまま出入り口へ向かい、と土方の傍を通り過ぎる。
「よ、万事屋さん、どちらへ…!?」
立ち去ろうとする銀時に気づいては慌てて彼を呼び止める。
銀時が振り返れば、は不安そうに眉を潜めて彼を見つめていた。
戦時中、戦へ出向く時、いつもは今のような表情を自分たちに向けた。
生きて帰って来るかはわからない。
生きて帰るためには敵である天人たちを斬り捨てるしかない。
それは充分にわかっているから、は不安と恐怖でいっぱいだったに違いない。
それでも、この幼い少女は引き止めることはせず、自分たちの帰りを待っていてくれた。
自分や天人の血にまみれた姿になっても、とにかく生きて帰ってきた。
そうすれば、どんな時でもが笑って出迎えてくれた。
銀時はの隣りにいる土方に目を向けた。
怪我は負っているが、を護って此処から脱出することぐらいできるだろう。
大分不本意だが今は土方に任せるしかない、と銀時は思った。
土方にもそれが何となく伝わったのか、自分を見てくる銀時に文句を言わず黙っている。
それを見て銀時はまた一歩踏み出そうとしたが、ふと思いとどまった。
銀時はもう一度、を見据えた。
「…俺、万事屋としてあの依頼受けたけどさ」
いつもの調子で話を切り出す。
「アレ、なかったことにしてくんない?」
は突然の断りに困惑して、ただただ銀時を見つめている。
銀時は苦笑いをしながら、もう一度だけ言葉を紡ぎ出した。
「俺ァやっぱ、兄貴分としてお前のためになりたいんだよ」
…なァ、。
その瞬間、の目が大きく見開かれた。
それを一瞬だけ見た後、銀時は彼女たちに背を向けて駆け出した。
元いた場所へ戻ってくると高杉がいた。
そこにはいつのまにか桂もいて、高杉と対峙している。
ああ、だから高杉は追ってこなかったのか、と銀時は落ち着いていた。
…もう、迷いはない。
「銀時…!」
桂が銀時がいることに気づき、高杉はその呼びかけで反応した。
高杉はあの嫌な笑みを浮かべてはおらず、険しい表情をしていた。
銀時が再び此処へ来る前に、また昔の話でもしていたのだろう。
「あの女はどうした?」
高杉は銀時に鋭い目を向けて尋問した。
桂ものことは気になるようで、銀時に注目する。
やれやれと後頭部を手で掻きながら、銀時は前へ進み出た。
「残念ながら此処にはいないぜ?高杉よォ」
「てめェ…逃がしやがったのか」
「当たり前じゃねーか。か弱い女がこんな所にいたら危なくてしょーがねェ」
「あの女は、俺の獲物だ」
やけに高杉が食い掛かってくる。
そう思いながら、銀時は桂の隣まで来て、そこで立ち止まった。
「ヅラ、ちょっと刀貸せや」
銀時のその言葉に桂は怪訝な表情をする。
「構わんが…どうするつもりだ」
「決まってんじゃねーか」
銀時は桂から受け取った刀を鞘から抜き、前へ突き出した。
その先には、こちらを睨む高杉がいる。
銀時はニィっと挑戦的な笑みを浮かべた。
「決着つけるんだよ」
が過去を思い出すのか、思い出さないのかはわからない。
どちらにしても、高杉をこのままにしておくわけにはいかない。
ただ、が笑っていられるように…それが、兄貴分である俺の役目だ。
「銀時」
銀時を睨んだまま高杉は呼びかけた。
「てめーは何のために戦う?…まさか、あの女のためとか抜かすんじゃねーだろなァ?」
そう言って嘲笑う高杉に銀時は然程怒りを感じなかった。
高杉が言ったにしては、愚問だ。
銀時は相変わらず笑みを浮かべている。
「ただ俺ァ、護りてェだけだよ」
「護る?あの女をか?」
「ああ」
「…あの女ァ護って、何になるってんだ」
尚も食い掛かってくる高杉に、銀時は益々笑みを深めた。
「侍ってェのは、大切なもん護るためにあるんだろーが」
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