高杉は思いもよらず愕然としていた。
目の前には、着物を真っ赤に染めて倒れている女。


刃先を振り落とそうとした瞬間、自分の前に立ちはだかってきた。
先程は斬り損ねたから、土方の後に斬ってやろうと思っていたのに。
迷いが出た。
突然立ちはだかった女は、あまりにもあの少女に似ていた。
だが、高杉は止まらない勢いそのまま、彼女を斬った。


「ごめんなさい…」

結果的に目障りな女を斬ったはずだった。
だが、目の前で涙を零しながら謝るその姿は、あの少女そのものだった。


「ごめんなさい、松陽先生…」


あの人の名を呼ぶその姿は、そのものだった。


高杉が手に持つ刀は赤い血で濡れていた。
下に向けた刃先から、赤い雫がポタリ、ポタリと地へ落ちていく。
この血は、誰のものだ?
理解しがたい状況に、高杉は心中で自問した。

俺は、この刀で…誰を斬った?


「思い、出したのか…?」

高杉と同じように愕然としていた銀時がハッとしてに尋ねた。
それが聞こえたのかどうかはわからないが、は独り言のように呟いた。

「どうして、今頃、思い出してしまったんでしょうね…」

その言葉を聞いても、高杉はまだ状況を呑み込めなかった。
信じられるはずがない。
あの時、失ってしまったものが、今此処に存在してるなど。

それでも、高杉は漠然とした答えを確かめずにはいられなかった。


、なのか?」


その声は、まるで夢の中にいるようなに届いた。
虚ろだった目が高杉だけを捉える。

「…あの時」

は再び口を開いた。

「私のせいで、貴方は…左眼を、失ってしまって」

違う、と高杉は心中で否定した。
のせいじゃない。

「このまま、私が傍にいたら…貴方のすべてを、奪ってしまうと。
そう、思って。あの日、雨が降っていて…私は、川に…」

記憶を辿りながら、は途切れ途切れに言葉を紡ぎ出た。
傍にいる土方も、銀時も、桂も、彼女を見守っている。

「けど、本当は…っ」

ふいにの声が震え始めた。
ぽろぽろと忙しなく、涙が零れ落ちた。

「離れたくなんてなかった…っどんなことがあっても…」

泣きじゃくって、傷の痛みも息苦しさも疾うに忘れて。
は、叫んでいた。


「本当はっ…ずっと、ずっと高杉さんの傍に、いたかった…っ!」


泣き叫ぶを呆然と見つめながら、高杉は思い出していた。
の言った、あの時のことを。


あの時、高杉はとにかくに襲いかかろうとする天人たちを斬った。
本来の目的も忘れて、ただを護るために戦った。

左眼の負傷で倒れた高杉をが治療した。
血を見るのも触れるのも怖いだろうに、手を真っ赤に染めて。

『お願い…っ死なないでぇ…!』

高杉は朦朧とする意識の中、唯一見える右眼で、泣きじゃくるの姿を見た。
死ねるわけがないと思った。
こんなにも自分を必要としてくれるを置いて行けるわけがない。

直に、この戦は終わるだろう。
自分たち、攘夷側の敗北で終わる。
それならば、最後まで戦って、自らの死で終わらせたいと高杉は思っていた。
こんな腐った世界で生き続けても意味がない。

だが、が傍にいるのなら、もう少しこの世界で生き続けてもいいと思った。
世間から離れて、と共にひっそりと暮らしたい、と。

だけは、ずっと自分の傍にいる。
そう信じて、疑わなかった。

それなのに、は高杉の前から姿を消した。


「…傍にいたけりゃ、いればよかったじゃねーか」

高杉は刀から手を離した。
刀はそのまま下へ落ちて、赤く染まった地へ倒れた。

「俺は、お前さえいればよかった。左眼を失おうが、他の何を失おうが…」

込み上げる感情を抑え切れない。


「お前だけは、護りたかったんだよ」





記憶の中の少女ではなく、高杉は目の前にいるを見ていた。
その隻眼は、彼女への慈しみを秘めている。

が、また涙を零した。
そして、少女だった頃の面影を残しながら笑った。
大人になった彼女の笑顔は、誰もが惹かれるほど綺麗だった。




「高杉、これからどうするつもりだ」

血を拭ってから刀を鞘へ収める高杉に桂は訊いた。
その場にはその二人と、新八に傷の手当てをされながら神楽に遊ばれてる銀時がいた。
と土方はもう此処にはいない。


あの後、真選組がやってきた。
隊士たちは高杉の姿を見るやいなや刀を構えたが、それを近藤が制止する。
もう戦い合っている状況ではないとその場の空気を読んで判断したのだ。

『トシ、とにかくを病院へ連れていこう』

『そのままじゃ、さん死んじゃいますぜィ』

近藤と沖田に促されて、土方はを抱き上げた。

『高杉、はこっちで預かっとくぜ』

高杉にそう言い残して、土方は近藤たちと共にその場を去っていった。
つまり、真選組はその場を見逃したのだ。


これからどうするつもりなのか、高杉自身わからなかった。
ただ、が最後に見せたあの笑顔が脳裏に焼きついて、離れなかった。

「そういやお前、何であんなにのこと忘れたがったんだよ」

高杉が黙っていると、傷の手当てが終わった銀時がそう尋ねた。
ずっと銀時が疑問に思っていたことだ。
その問いに高杉はふっと自嘲した。


?』

目が覚めて、やっと意識がはっきりした頃、がいないことに気づいた。
高杉は重たい身体で外へ出ていき、慣れない隻眼でを捜した。
だが、どんなに捜してもは見つからなかった。

見つけたのは、が履いていた草履の片方だった。
川の水草に引っ掛かっていたそれを見て、高杉はハッとした。
同時に、何とも言えない感情が込み上げてきた。

が死んだ。
こればかりは、幕府のせいでも、天人のせいでも、世界のせいでもない。
護れなかった、俺のせいだ。

が身を投げた川の岸辺で高杉は火を焚いた。
赤く燃え上がる炎の中へ、が残していった物を入れていく。
少女らしい花柄の着物、桂に買ってもらったという医学書、唯一見つけた草履片方…

との思い出を、すべて消してしまいたかった。
そうしなければ、目的を果たす前に、罪悪感で押し潰れてしまいそうだった。
何もかも奪った、この世界を壊す。
それだけが、に代わる自分の生き甲斐となるのだから。


「てめーらこそ、何でのこと俺に教えなかった?」

銀時の問いにも答えず、高杉は訊き返した。
本当は訊くつもりもなかったのだが、話を逸らすのに丁度いい。

「だってなァ、が思い出したくないっつってたし…」

「記憶を失ったに貴様が何をするかわからなかったからな」

相変わらず、こいつらはのことばかり心配しやがる。
高杉は呆れたが、それは自分も同じだと馬鹿にはできない。

思い出したくない、か。
それをに責めたいとは高杉は思わなかった。
彼女の過去を知っていれば、それが当たり前のように思う。
ただ、寂しさは感じた。

「なァ、高杉」

懐に手を入れながら銀時は高杉を呼びかけた。

「あの子、記憶をなくしちゃいたが、残ってたもんもあったんだぜ」

銀時は懐から取り出したものを高杉に差し出した。
それを見て、高杉は目を見開く。


「それくれたのは、きっと大切な人だったんだろうって…そう言ってたよ、あの子」


漆黒に朱と金で桜の花が描かれた玉簪。
確かにそれは、高杉がに贈ったものだった。


笑みを浮かべながら銀時は新八と神楽をつれて帰って行く。
高杉は受け取った簪を見つめていた。


『もし、この簪が似合うような女の人になれたら…』


「…さて、俺もそろそろ行くとしよう」

帰って行く銀時たちを見て、桂が口を開いた。
そして、簪を見つめている高杉に言葉の続きを向けた。

「貴様がこれからどうするつもりでも、俺は知らん」

振り返りもしない高杉に桂はふっと笑った。
高杉に背を向けて、桂は前へ歩み出した。


「だが、一度失ったものを取り戻すなど、なかなかできることではないぞ」




一人その場に残った高杉は簪を握り締めて、思いを馳せる。


『もし、この簪が似合うような女の人になれたら…』


その言葉通り、大人になったは美しい娘になっていた。
きっと、この簪がよく似合うのだろう。


『私を、お嫁さんにしてくれませんか…?』


もし、もう一度そう言ってくれるのならば。
俺を、愛していてくれるというのならば。


『本当はっ…ずっと、ずっと高杉さんの傍に、いたかった…っ!』




今度こそ、ずっと傍にいよう。














たとえ、何を犠牲にしようとも















>>戻る